グノーシア妄想

はじめに

グノーシア(GNOSIA)のネタバレ祭り. 基本クリアしている前提の話.

妄想なので,すごくフワッとした話にこじつけていく.

数千年前からある,汎用性のきいた話は実に世の様々なものに当てはまってしまう. そのことを理解した上で,読んでもらえると助かる.

それが,虚構かどうかではなく考えるのが楽しいのだ.

グノーシアという名前について

単語からいろいろ妄想

"GNOSIA"という単語は語根の"GNOS[知識]"に場所を表す接尾語"IA"をつけてできるものだ.

知識,認識の場所を示すのか???......

と考えたところで,いろいろ出てきた. ラテン語だったりギリシャ語だったり,いずれも認識,認知とかそういう意味に近い. 興味深かったのは,診断(病気を含む,現象の性質が決定される手順)という意味. 何か近いような遠いような...

正確な知識がないためうーーんて感じ.

いずれにしても「認識」が重要になってくるだろう.

その響きからの妄想

"GNOSIA グノーシア"この響きを筆者は既に聞いたことがあった.

グノーシス主義だ. (....なぜ知っているのかは置いておいて)

グノーシス主義

概要はwikiより,

グノーシス主義グノーシスしゅぎ、独: Gnostizismus、英: Gnosticism)またはグノーシス(希: Γνῶσις)は、1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った宗教・思想である。 物質と霊の二元論に特徴がある。 英語の発音は「ノーシス」である。 普通名詞としてのグノーシスは、古代ギリシア語で「認識・知識」を意味する。グノーシス主義は、自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める思想傾向にあたる。

もうニヤニヤが止まらないね,最初から知ってたから最高だったね. しかし,これだけではない.読んで欲しいのは反宇宙二元論のあたり

以下wikiより

反宇宙的二元論

反宇宙的二元論の「反宇宙的」とは、否定的な秩序が存在するこの世界を受け入れない、認めないという思想あるいは実存の立場である。言い換えれば、現在、我々が生きているこの世界を悪の宇宙、あるいは狂った世界と見て、原初には真の至高神が創造した善の宇宙があったと捉える。 グノーシスの神話では、原初の世界は、至高神の創造した充溢(プレーローマ(英語版))[8]の世界である。しかし至高神の神性(アイオーン)のひとつであるソフィア(知恵)は、その持てる力を発揮しようとして、ヤルダバオート[9]あるいはデミウルゴス[10]と呼ばれる狂った神を作った。ヤルダバオートは自らの出自を忘却しており、自らのほかに神はないという認識を有している。 グノーシスの神話では、このヤルダバオートの作り出した世界こそが、我々の生きているこの世界である、と捉えられる。

宇宙論

グノーシス主義は、地上の生の悲惨さは、この宇宙が「悪の宇宙」であるが故と考えた。 現象的に率直に、真摯に、迷妄や希望的観測を排して世界を眺める時、この宇宙はまさに「善の宇宙」ではなく「悪の宇宙」に他ならないと考えた。 これがグノーシス主義の「反宇宙論」である。

二元論

宇宙が本来的に悪の宇宙であって、既存の諸宗教・思想の伝える神や神々が善であるというのは、誤謬である、とグノーシス主義は考えた。 ここでは、「善」と「悪」の対立が二元論的に把握される。まず、善とされる神々が、この悪である世界の原因であれば、それは悪の神であり、「偽の神」である。となるとその場合、どこかに「真の神」が存在し、「真の世界」が存在するはずだ、と考える。 悪の世界は「物質」で構成されているので、故に物質も悪と判断する。物質で造られた肉体も然りである。一方、「霊」あるいは「イデアー」が「真の存在」であり、「真の世界」である、と解釈される。 善と悪、真の神と偽の神、また霊と肉体、イデアーと物質、という「二元論」が、グノーシス主義の基本的な世界観である。これが「反宇宙論」と合わさり、「反宇宙的二元論」という思想になった。

二元論はまさにグノーシアだ.この宇宙の否定.そうだろう. 付け加えるなら.このマークだろうか

ja.wikipedia.org

はい,どこかで見たことあるね!!!!!!!!

グノーシス主義に近しい点

グノーシアは基本的に運命に抗う話だ.これは

否定的な秩序が存在するこの世界を受け入れない、認めないという思想あるいは実存の立場である。

まさしく,反宇宙的だ.

また作品の各所で,電脳化,蓋然計算領域を非物質を神聖視している描写をいくつかみる.

しげみちが電脳化したがっていたり,蓋然計算領域を天国と言ったり.

グノーシアもグノース,すなわち人格の集合体を神聖視している.

いずれも物質を悪として,「霊」あるいは「イデアー」を善とする二元論に近いと言える.

ゆりこは何なのか?

作中のゆりこは私の中で,最も謎の存在だ. なぜ知っているのか.なぜ認知を歪められるのか. いろいろ妄想してみる.

結論から述べるならば,啓発者,宣教師?その立場に近い者となった.

まずは主人公のスキル振り変更の時セリフから

「星々とて,さほど偉大ではない,この世界を作った狂える神々が〜〜」

やはり反宇宙的なセリフ.ここからもその思想が間見える. それとなく世界の構造を知っているし,それをわざわざ主人公に伝えている.

またそれと同時に

「宇宙は人間の内にある,ならば結局は己次第」 「主人公ならばこの宇宙を,己を変えることができるかも」 「お前みたいに,不安定ならいくらでも変えられる」

と言われる. 最初,私はゆりこが何かを知っていると思っていた.

実際ゆりこはグノースについてもグノーシアについても, 何なら主人公についてもなぜそうなっているのかを教えてくれる..

星舟から堕ちた巫女.その文字をわざわざ使うなら,「堕天使」その可能性をまずは考えた.

ゆりこ堕天使説

ゆりこ曰く,グノースは人格の集合体という. 電脳化を神聖視する世界ならグノースを天国といっても良いと思う.

そしてそこへいくための電脳化を施す巫女は,まさしく天国へ導く天使. そこから堕ちてきたゆりこは堕天使と言えなくもない. そして堕天使は悪魔とも呼ばれる. 思い返せば悪魔的な一面があるようにも感じる...

そして捕まれば終わりみたいなことを行っていた. 堕天使(ゆりこ)は神(グノース??)と永遠に敵対する運命にある.だから敵対していた? うーーん悪くはないが.... それだけで,認知を歪め,主人公の原因を知っているだろうか? そもそも大枠のくくり,世界を巫女が知っているものだろうか?

あとはグノーシアがいないと存在できない

今となってはグノーシア共に感謝すべき,主人公も グノーシアがいなきゃこの身は存在しない

みたいなことを言っていた

それは主人公がこのゲームを始めなければゆりこは存在しないということだろうか? このゲームを始めなければ,この宇宙はそもそも生まれないから.

エンディングでの行方不明はそういうことかもしれない. この説を引きずりつつ以下に続く.

ゆりこ啓蒙者,宣教者説

この辺りで,ふと思った.私は盲目的にゆりこの発言を信じていることを. グノースもグノーシアも,私の中の認知はゆりこから与えられたものだ. そして,

「星々とて,さほど偉大ではない,この世界を作った狂える神々が〜〜」 「宇宙は人間の内にある,ならば結局は己次第」 「主人公ならばこの宇宙を,己を変えることができるかも」 「お前みたいに,不安定ならいくらでも変えられる」

このセリフ. ゆりこがこちらの認知を操作してないか? そんなこと言ったら全キャラが操作していることになるが...

「グノースに「触れられた」者はヴィジョンを得る」 「脳を変質させる、「神の声を聞く」」 「グノーシアとは殉教者、グノースより天啓を経て人間を救うために自らの命を捧げる者共」 「グノースは人間の人格の集合体,自己の肥大のためにグノーシアを用いて人間を消滅させる」

これを言われた時に,そうなんだと思ったけどこれも認知を操作されていないか? これらを主人公に伝えることで認知を操作しようとしているのではと感じてしまった.

二元論では,物質は悪,霊,イデアーは善とされた. ならば,グノースは「善」でありグノーシアを用いて「悪」たる物質,肉体を「善」へと変えている.

この関係を主人公へ伝えている.二元論の暗示だ. 要するにこれをプレイするものへの宣教師,または啓蒙者ではないかということだ.

このゲームを始めるまではいわば完全世界だったが

原初の世界は、至高神の創造した充溢(プレーローマ(英語版))[8]の世界である。

それが主人公によって二元論の世界になってしまう. 善と悪の対立の引き金となる

「善」と「悪」の対立が二元論的に把握される。まず、善とされる神々が、この悪である世界の原因であれば、それは悪の神であり、「偽の神」である。となるとその場合、どこかに「真の神」が存在し、「真の世界」が存在するはずだ、と考える。

これがトリガーとなってゆりこは星舟から墜ちる (完全世界ではないので堕天使は神と永遠に対立する運命)

そして,この認知を主人公に与え,世界は元の世界へ.. 元の世界は完全世界になりゆりこは星舟から堕ちない.

よく考えれば,このゲームのストーリーはそれ自体が反宇宙的だ. これを組み合わせて,反宇宙的二元論が完成する.

やっぱり啓蒙書じゃないか!!!!!!!

じゃなぜ毎回ゆりこが居ないのか? 多分堕ちてはいるけどその宇宙船に乗ってないだけだよ多分(小声)...

このゲームを取り巻く構図について

ここまで妄想してきて,うわぁってなっているだろうがまぁ,もうちょっと頑張ってくれ.

さて,私はこのゲームをこれに感化された者から勧められて始めた. この構造が実に面白い.

「グノーシア(ゲーム)」という共通認識が「感化された者」によって私に広まったのだ.

まるで「グノース」が「グノーシア」によって自己を肥大させるように.....

そして,実際にプレイした私は見事に認知を歪められ,この気持ち悪い記事を書いている. ここまで書いてしまった私はもう「グノーシア」だ.

感化されたものは「グノーシア」に,プレイしただけものは「グノース(共通認識)」となるだろう.

さて,人類を救いに行こう.

脳内垂れ流し

はい、もはや完成されたかに見えたこのブログをついに壊してしまった

 

更新するか結構悩んだ、もう別垢作るほうも考えたけどめんどくさいのでこっちに書く

 

##んで、何書くの?

テーマ探したりなんか作ってたりすると”新規性”とか、”既存の組み合わせ”とか、”オリジナル”とか”パクリ”とその辺がよく分からなくなった。

んで、とりあえず書いて、整理してみる。

 

先に書いとくと、この先どんどん話が脱線する、脳内垂れ流しの上に風呂敷を広げるだけ広げて回収しないからアレです、はい

 

##比較的言語化できるもの

例えば、自分で話を作ろうと思って何か作るとする。んで、その作った話は”オリジナル”か?”新しい”か?どっかで見たことないか?”既存の組み合わせ”じゃない???みたいな、なんというか”新しさ”、”オリジナリティ”が足りないような感覚になる。少なくともわしは。

 

んで、”まっっったく新しいもの”を作れないかと考えると、無理じゃね?って話。だって”知ってるもの”しか知らないじゃん??”知ってるもの”を組み合わせるしかないじゃん??

 

生まれた時から、死ぬまで多分知ってることしか知らないから新しいものを考えるって無理じゃない?

 

だから”知る”ときに何かヒントがあるような気がした

 

知らないものを誰かに教えるときどうするかというとその人が知ってるものを使ってうまく組み合わせて説明するよね??

 

って説明をしようと思ったが

 

........これ違う話だな...

 

いや、”知識”というかなんかこれ違うよね??

“新しい”というよりは、”経験”というか....

これはアレだ、知らないを知ってるに変えるときのプロセスだな....

 

“新しい”とは違う気がするが...なんだろう、観測する位置によってはそれは新しいになるな

 

知らないことを知る本人からしたらそれは”新しい”って認識になるってこと....うん、これは違うな

 

##路線変更、修正

これまでの脱線は、いわば個人にとっての”新しい”と言えるのだろうか、まぁそれはよくて、こう、アレだ集団??スケールを大きくして人類全体で見て”新しいもの”って......あれ??

 

スケール変えても変わんなくね...

とゆうか、”新しい”の意味、いい加減調べません???絶対履き違えてるでしょこれ???

 

新しい

今までになかったもの、これまでのものと違うもの

 

あれ?あれ?あれ?全然違くない????

 

今までなかったものの定義が若干怪しいが(どれくらいまでが今までになかったって判定なのだろうか?)

 

わしの中の”新しい”ってなんかもっとすげー新しい奴なんだよ.....これ伝わるかなぁ....

オリジナリティの頂点みたいな....そんな感じ...

あれ、いつから”新しい”が自分の中でこんな意味になったんだろう....

 

##ハードル高すぎた説

“新しい”って今までなかったもの、違うものなら新しいんすね.....

 

なんだよ、なんでも新しいじゃねぇか......

 

でもなぁ、うーん、やっぱり納得いかねぇなぁ

わかんな

 

疲れたから最後にコピペ教を紹介して終わろうと思う

 

##コピペ教

 

全ての知識は全ての人のためにある。
知識の検索することは神聖である。
知識を循環させることは神聖である。
複製する行いは神聖である。

 

わしは知らないうちにコピペ教信者になっていたのかもしれない

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/コピミズム伝道教会